林間学校の管理者
5話 3日目前半
結局あの死体はどうしたらいいのだろう。あの死体、尾張由里香はまだ生きている。いや、確かに埋まっているのは死体だ。だから、尾張由里香は二人いる。しかしどちらも同じ人物だ。であるならあの死体は尾張由里香で、尾張由里香の所有物となるべきだ。だがそうだろうか?死体はすでにその主を失っているから死体なのだ。生きている尾張由里香にとって彼女の体が彼女のものでも、死んでいる彼女にとって彼女の体が彼女のものだというわけではない。わからない。思考がぐるぐると回る。わからない。
わからないなら仕方がない。こういうときにすることは一つだ。ただ仕事をこなす。そのほかにない。
とりあえず、いくつかの仕事を終え、最後にかまどの点検にやってきた。いつもの順番、6、3,2,1,4,5とかまどを回る。燃え残りがないかしっかり確認し、かまどに手を当てる。この間もずっと彼女、もとい死体のことを考えていたが、答えは出ない。しかしかまどに手を当てて点検をしている間だけ、少しだけ気持ちが楽になるような気がした。
答えはでない。しかし少しだけ気が軽くなった。絡まりきって堅く結ばっていた糸の玉がわずかな振動でほどけていくように、さっきよりもずいぶんと解決に近づいた気がした。しかしまだ糸はからまったままだ。何かもっと根本的なヒントが必要だ。
そんなことを考えながら道を歩いていると、見慣れた人影が現れた。あれは……高千穂やよいだ。
なんでこんなところに、しかも一人でいるのだろう。もうじきキャンプファイヤーの時間のはずだ。ほかのみんなは、きっとキャンプファイヤーができる広場に集まっているだろう。なのになんでこの子だけ、この薄暗い林の道にいるのだろう、そう不思議に思いながら遠くから見ていると、彼女の方が気づいたようで、タタタと長い髪を流しながら駆け寄ってくる。その足音に乗って、かすかなモーター駆動音が聞こえる。
「出雲さん。こんばんは。」
「こんばんは、高千穂さん。どうしてここにいるのですか?もうすぐキャンプファイヤーの時間のはずですが。」
「道に迷ってしまったみたいで…。さっきまで由里香ちゃんと一緒にいたはずなんですけど……。」
少し照れくさそうに、うつむきがちに彼女は言った。
「そうですか、ではキャンプファイヤー場までお送りいたしますね。」
僕はそう言って、スタスタとキャンプファイヤーをやっているであろう場所に向けて歩き出す。それに合わせて、彼女もモーター音を鳴らしながら歩き始めた。
「しかしずいぶんと遠くまで来たのですね。」
僕はひとりごとのようにつぶやく。ここはキャンプファイヤー場から宿泊施設を挟んでまさに反対側だ。
「ええ、そうみたいですね。」
鈴のような澄んだ、しかしか細い声で彼女が答えた。それに対して、僕は続ける。
「かなり距離がありますから、なにかお話ししましょうか。そうですね、よかったら私の悩みを聞いてくださいませんか。」
「いいですよ。」
心地いい返事だ。この子ならきっと、あの問題に対して重要なヒントをくれるはずだ。そんな予感がした。
「よかった。実はですね、私はあるものを持っていて、それが誰のものかわからないのです。いや、誰のものか目星はついているんですけど、彼女に返すべきかわからないんです。」
「えっと、返しちゃだめなものなんですか?」
「いえ。でも全く関係ない人を巻き込むのは避けたくて。」
「うーん、本人に聞いてみるのはどうですか?同じ問題でも、どうしてほしいかって人によって違うし。」
「聞いてみる……」
たしかにそうだ。聞いてみるという選択肢を入れていなかった。シンプルな話だ。尾張由里香に直接尋ね、引き取るか、それともそのまま処分してほしいかを判断してもらえばいい。簡単な話だった。
「たしかにそうですね。ありがとうございます。重要なことを見落としていたみたいです。」
僕は丁寧にお礼をする。予感は正しかった。この横で歩いている少女が、手がかりを与えてくれた。
話が一区切りしたところで周りを見ると、宿泊施設の場所まで来ていた。ちょうどキャンプファイヤー場まで半分といったところだ。そこまで来たところで、高千穂やよいがふっと足を止めた。
「どうしたんですか?」
僕が足を止めて振り返り尋ねると、彼女はうるんで月光が反射する目で僕を見つめて言った。
「私からも、相談いいですか?」
「もちろん。」
断れるはずも、断る理由もない。彼女に頼られるなら本望だという気さえしてくる。
「私、キャンプファイヤーに行きたくないんです。」
彼女がこぼれそうな涙をぐっとこらえながら、そういう。
「そうなんですね。なんでですか?」
追い詰めないように、慎重に、できる限りの優しい声を心がけて問いを返す。
「なんでか、わからないんです。今もこうやって足が震えて、涙が止まらなくて。」
ぽろぽろと頬を伝った涙はそのまま顎から暗闇の中へ落ちていき、見失う。夏のじめっとした空気が二人の間を抜けていく。僕はその空気を押しのけて彼女の下へ行き、その小さく華奢な体を抱きしめた。
「大丈夫ですよ。行きたくないなら、行かなくていいです。私が先生に話をつけておきますから。」
いきなり抱きつかれて驚き固まっていた少女は、徐々にそのこわばりを解いていって、再び涙を流し始めた。僕のシャツが次第に湿っていく。しかしそれは不思議と不快ではなく、胸のあたりをじんわりと暖めていた。
しばらくそうやって抱き合った後、僕は一度先生のいるキャンプファイヤー場へ向かい、高千穂さんは体調が悪いから宿泊施設で寝かしてあると嘘をついて納得させて、再び彼女がいる宿泊施設の前まで戻った。
彼女はコンクリートのちょっとした段差に腰をかけて、空を見上げていた。
「星でも見てるんですか。」
隣に腰をかけて、同じく空を見上げて質問する。彼女は空を見たまま答えた。
「はい。でも不思議ですよね。ずっと暗いところにいると目が慣れてしまって、きれいに見えるなんて。」
「そういうように設計されてますからね。」
「星のきらめきをみて、きれいって思って、でもそれは届かないものだって諦めちゃう。」
「でもやっぱり、星のきらめきをきれいって思うのは、明るいのが好きだからなんでしょうね。」
「届かないって思っても、明かりを求めてもいいのかな?」
さっきまで空を見上げていた彼女が、こちらを見て、そう問いただしてきた。僕も彼女に向き直って答える。
「もちろん。明かりを求めなくなったら、星さえきれいじゃなくなってしまいますから。」
彼女ははっとした顔をして、その後表情を柔らかい笑みに変えて、そして再び空を見上げた。
「星がきれいですね。」
彼女の口から出たその言葉が、やさしく僕の鼓膜を揺らした。
「そうですね。」
ぼくもやさしく、同意する。天の川が空いっぱいに流れている。
「そうだ、せっかく二人なので、僕からもう一つ、質問させてください。」
「なんですか?」
「やよいさんって、アンドロイドなんですか?」
少女は少し沈黙する。ざぁっと風が吹き森の木を揺らす音がする。しまった、と思った時、彼女は答えた。
「今は、人間です。きっと。」
少し奇妙なその答え。しかしそれをそのまま受け取る。
「ええ、そうですね、きっと。」
モーターの駆動音はもう聞こえない。風と森と、空の星々の音だけが、あたりを包んでいる。