100文字0円

なんで日常を0円で売ってるんだって?
君たちだって、Twitterで、Instagramで、もしくはほかのSNSでやってるじゃないか。
ぼくはそれを、個人サイトでやってるだけさ。

初めて同人即売会に行った話

熱気、熱量、すべてがすごかったです。そこにあるすべてが。

表題にあるとおり、今日初めて同人即売会に行ってきました。行ったのは名古屋コミティア。名古屋最大のオリジナル作品の同人即売会です。

なんとなく頭にある同人即売会のイメージを元にシミュレーション、トートバックと大量の1000円札と小銭を用意していざ戦場へ。

当日券は予想よりもサクッと買えました。入場の待機列は2列組が4つ、1列が20人くらいと言ったところか、小学校での1学年百数十人くらいの集会を彷彿とさせる感じです。コミケの戦場のイメージがあるからか少し拍子抜け。

Twitterのフォロワーが1万を超える人、10万に迫るような方も居ましたが、めちゃくちゃ並ぶこともなく、こちらも少し拍子抜けの感じ。しかしそのおかげで見本をじっくり見ることができて良かったです。

ジャンルは様々、絵柄も様々。どちらかと言えばイラストや漫画が多いようですが、文章や写真集などを売っている人も居ました。あとハンドメイドアクセサリーとかもありました。

売り切れないうちに目星を付けておいた作家さんの場所へ。具体的にはあかもく先生や宇野草壁先生、きたむらしゅ~先生のところへ。いやー、印刷されてるといいですね。自分はやはりSNS上で見るよりも印刷されてる実体のほうが好きです。そんな感じなので、手に取るとほしくなってしまいついつい散財。有名どころを回っただけで財布が半分空に。ここまでで入場から30分足らず。

いや、言い訳をさせてください。有名どころってこういうイベントになれてて、印刷もちゃんとしてるんですよ。すると印刷のクオリティ分だけ高くなるので、単価が高いんです。だから散財しても仕方ない

しかし同人即売会の魅力は、有名どころだけではありません。Twitterを周遊していてもなかなか見つけられない、まだフォロワーが少ない人の作品にも出会える、そんな場です。そういう人こそ応援したい、という思いで、自分の琴線に触れるような人を探します。

そこで見つけました。たもり(X:@tama__sachi )さん。絵柄がめちゃくちゃ好みなんですよ。こういうパキッとしていて、ギリギリまで必要な情報を絞り混んだ感じの絵。あとポーズや衣装も好みな感じ。アリサちゃんが特に好きです。

コピー本のイラスト本と、しっかりした印刷の漫画本、イラスト本が売っていたので買ってきました。漫画本はとても良質な百合。ありがとうございます。

で、びっくりなのが、以上の三点を買っても500円。しかもポストカード2種類(ラメ入り)がタダで頒布されていました。

サイズは確かに小さめなのですが、それでもきちんとした印刷。え?絶対赤字ですよね?オリジナルなんだから利益出してもいいのに。

というわけで本当に感謝感謝なので、TwitterのID付きでちょっとでも宣伝になればと思ってブログに書かせてもらいました。(もし逆に迷惑だったらご相談ください!)

この流れでもう一つ、サークルを紹介します。すずしろこあら(X:@suzu46koara)さん。こちらも百合なんですけどね。こちらのサークルで2冊購入しました。

1つは『るぅと莉々』。ふわふわした絵柄とストーリーがかわいい4コマ百合漫画です。そしてもう一つは『ギャルと地味子1.5』。こちらは先ほどの漫画の作者水河すみさんがストーリーを書き、西ひるめさんが作画を担当しています。先ほどと同じく、優しくキュンキュンするような話がベースですが、絵柄はかわいい+美人寄り。戸惑ったような表情の描き方も上手くて、空気感の演出が素晴らしいです。それとそれと、表紙のイラストの塗りがとても素敵。あ、さっき言い忘れましたが『るぅと莉々』の方の表紙も素敵ですよ!是非Twitterに飛んで見てみてください。

ところで、先ほど紹介したサークルさんの本のいくつかはコピー本でした。コピー本とは印刷所に頼まずコンビニのプリンタや自家用プリンタを使って印刷、自分の手で製本したもの。で、ちゃんと印刷所に頼むものに比べるとお手頃価格で販売されていることが多いです。

コピー本というものがあるのは知っていましたが、手に取ってみるのは初めてで、新鮮な気持ちでした。

コピー本って何が一番違うかっていうと、やっぱり紙なんですね。印刷の精度も違うのかもしれませんが、第一印象として残るのはその軽さです。印刷所で刷ったものは紙がしっかりしていてずっしりとしているんですけど、それに比べると軽い。

重い方が持ったときの所有感が大きくて嬉しいんですけど、軽いのは軽いので軽快な読み味をだしていて悪くないなと思いました。加えて、印刷所にしっかりと出すわけではないけど、それであっても作品を出したいという熱意のようなものを感じました。

熱意、それはコピー本だけでなく、すべての本に宿っているようでした。それぞれが自分の絵柄で、自分にしかないものを表現し、それを広めていきたいと願って頒布する、そんな世界がありました。

技術の巧拙やかけた時間の違い、それらの結果生まれてしまう価値の差、そういったものが無いと言ったら嘘になるかもしれません。しかしそれを印刷し、誰かの手元に届けたいと願ったとき、それぞれの作品が独自の、決して他の作品と交わることも比較されることもない"価値"を持つんだと気付きました。

SNSでは数字ですべてわかってしまいます。フォロワー数、いいね数、RT数。それらが多くなるように、SNSで映えるような絵を努力して描く人もいます。その創意工夫はそれ自体として素晴らしいと思います。しかし、SNSの外にも世界は広がっていて、SNSの外にしかない価値だってあるんだと、気付きました。そしてそこには、それぞれの情熱がありました。

人が創る、人が直接それを届ける、そんな場所がある限り、創作の情熱は無限なのかもしれません。

2024.3.24

追記;使ったお金を計算したら14,800円でした……。気をつけないと破産する……。

無気力オタクが初めて美容室に行った話

大変恥ずかしいことなのですが私、この年になるまで自分で散髪するか、近所の1000円床屋(といっても消費税と物価高で1200円になっている)にしか行ったことがありませんでした。そんな私が一念発起、近所の美容室に行ってきました

そこの美容室は男性専門をうたっていました。これが少しだけ、美容室に行くハードルを下げてくれました。

予約を入れて三日後、ドキドキしながら店に向かいます。ここ最近睡眠が乱れていたせいでしょうか、それとも緊張によるストレスでしょうか、店に近づくにつれ吐き気がしてきました。しかし予約をしておいて直前で行かないなどという判断はできません。緊張した面持ちのまま美容室のドアを開けました。

中では2、3人のスタイリストが忙しそうに様々な客のカットやシャンプーをしていました。カラーを入れている待ち時間のようなお客さんもいました。予約の時間の少し前に来たからか、ちょっと忙しくて席が空かないのか、少しのあいだだけ待たされたので本を読んでいました。

少し後、ようやく席が空いたのか呼ばれました。私は手に持っていた本をしまおうかとしましたが、店員が本ももってきていいですよと言うのでそのまま持って行きました。

本を置いて、眼鏡やマスクなどを外し、カット前のシャンプーに向かいます。招かれるまま椅子に座って、椅子の倒れるままシャンプー台へと身を沈めます。いよいよシャンプーが始まりました。

美容室が初めてで今まで1200円床屋しか使ったことないということ、それはすなわちこうしたシャンプーを受けたことがないという意味でもあります。この姿勢も、目にかぶせられる不織布?もすべてが初めてです。

いよいよシャンプーが始まりました。温水のシャワーで頭皮が濡れ、店員の手が頭を包みます。このとき自分は仰向けの状態でした。後頭部の方を洗おうと店員が頭を持ち上げてきます。それに併せて自分も頭を持ち上げるようにしました。すると店員が「力抜いていいですよ」と一言。しまった、そっちだったか。

美容室初心者丸わかりのシャンプーが終わり、カットに移ります。カットはスタイリング歴の長いベテランの方。安心して任せられます。

「どうされますか?」といきなり聞かれますが、そんな質問に対して答える手札はありません。素直に美容室に来るのは初めてなことを伝えて、相談することにしました。嘘です。「あんまり美容室来たことがなくて」と1、2回は来たことがあるような見栄を張りました

ある程度相談が終わったあと、いよいよカットへ。スタイリストさんが私の持ってきていた本を見て「本読んでていいですよ」というので本を手に取ったのですが、これが悪手でした。

これは美容室に来る前の妄想です。カットしてる途中のおしゃべりも楽しみたい。髪の悩みとか、大学のこととか話すのかな、そんなことを思っていました。

あれ?私が本を読んでたら話しかけ辛くない?…無言の時が流れます。

それでも髪にまつわること、シャンプーだとかについて話してくれるスタイリストさん。しかし自分はそこからどう会話を続ければいいのかわからず、「はい」とか「そうですね」だけで終わらせてしまいます。うん。反省はしています。しているつもりです

そんなスタイリストさんの気遣いもむなしく、ついに無言の時間が訪れます。私は仕方なく持っていた本に目を落とします。しかし私は眼鏡を外していました。あんまり本を近づけて読むのもみっともない、そう思ってぼんやりしている文字をなんとか読もうと頑張りますが、身体の限界は超えられません。しかし本を読まないで無言でいるというのも変な人なので、そっと読むふりをして、適当なタイミングでページをめくることにしました。

ああなんて惨めな思いだったでしょう。しかしすべては身から出た錆。ぎゅっと悔しさをかみ殺して耐え抜きます。

そしてついにカットが終わりました。それはたしかに見事で、私の髪のはねやすいところも見事に跳ねないようカバーした、考え抜かれたカットだと思いました。

カット後は二度目の洗髪。今度は先ほどの反省を生かして力を抜くよう努めます。あ、ちなみにカットだけベテランのスタイリストさんが担当してくださって、洗髪やドライヤーなどは別の店員さんがやってくださいました。

ドライヤーをかけながら、ドライヤーのコツなどについても教わりました。なるほどドライヤーのかけ方ひとつでこんなに違うのか、頭のてっぺん側を持ち上げるように乾かすと縦に伸びるため、横の広がりが気になりにくくなります。

そのほかにもヘアアイロン、ワックスでのスタイリングなどをしてもらい、それぞれについてもコツを教わりました。その最中ずっと相手してくださった店員さんは本当に笑顔が素敵で、しかもそれを絶やさないで、印象がいいなと思いました。

他にも眉毛を剃ってもらったり諸々して完成。鏡で変身した自分の姿を見ます。

いい髪型です。いい髪型だと思うのですが、違和感が拭えません。なんでだろうか、見慣れないだけだろうか、そう思っていろいろ思案しました。そして気付きました。

髪型は完璧でした。しかしそれに付随している顔がよくなかった、正確に言えば表情が良くなかったのです

そこにはただ、きれいに整えてもらった髪とは不釣り合いな、無気力でぼんやりとした顔がありました。

2023.9.27

近況とTwitter

実に4ヶ月ぶりのページ更新になってしまいました。その間に一度サーバーの契約が切れたり、いろいろありました。

やるぞ!と意気込んでいた生成AI関係のアーカイブ作業も滞ってしまい、恥ずかしい限りです。

なんでそんな滞ってしまったかと言い訳をさせてもらうと、いろいろ忙しかったからですね。関わっているプロジェクトが佳境に入り始めたり、学業の方がせわしなくなったり。

といいつつ、私とTwitterでつながっている人のうちには「あんなにいつもTwitterにいたじゃないか」と言いたくなる人もいるでしょう。

全くその通りです。申し訳ありません。すべて私の怠惰です。

とまあ自分の怠惰を嘆いたわけですが、そんなふうに私を堕落させたあの忌まわしくTwitterが、閲覧制限をかけてきました。

日に取得できるAPI数が300に制限されてるとのこと。増えすぎたスクレイピングに対する一時的な措置だそうです。

ええ、これで私はTwitterに張り付く必要がなくなりました。これからは自由にこの自分のホームページにいられる――

わけないだろ!

制限がかかっているというのに、複数の端末を使ったり、TweetDeckを使ったり、リストを使ったり、プロフィール欄で言葉を紡いでみたり。

全くもって離れられません。むしろこの危機的状況を楽しんでいる。

思えば前の、柴犬のアイコンになったときにTwitterをやめると嘆いていた時もそんな感じでしたね。

さてはて、身も心もどっぷりTwitterに染まってしまっている自分。いつか抜け出せる日が来るのでしょうか――――

2023.7.4

ホームページ制作のこぼれ話

ホームページを作ってから2週間。時間はすぐに過ぎていきますね。なのでわすれないうちに、このホームページ制作のこぼれ話を書き留めておきます。

このホームページは作業を始めたその日に完成まで持って行きました。まぁその日といっても正確には日付をまたいだ1時とかに公開したんですけど。

なんでそんなに速く制作をできたのかというと、テンプレートをほとんどそのまま流用しているからなんですけどね。

そのテンプレートを拾った元がこちらの書籍『個人サイトを作ろう! テンプレートですぐできる! すぐに身につく! HTML&CSS』

本当に優秀なテンプレートで、そのまま流用できる。小説のインデックスの見本なども作ってあり、私にぴったりの本でした。

ところで、なんでそんな本が手元にあったんだって思った方もいらっしゃるでしょう。はい、こちらは積ん読してました。

作業を始めるずっと前から、ホームページは作りたいなとは思っていたんです。それで衝動的に買ったのがこの本でした。しかしその後開かれることなくほこりをかぶり……。

こんな完璧に積ん読になっていた本ですが、ホームページを作ろうと決断した日にはそれはもう活躍してくれました。これが自分でネットを調べるとか、本を買ってからとかしていたら、ホームページの公開は永遠に来なかったかもしれません。

というわけで、昔に買っていた本に大いに助けられたのです。まさに積ん読は身を助ける。そんな言葉ありませんけどね。

というわけで、テンプレートをそのまま使って一度ホームページを作成。追従するヘッダーや狭くなるとカラム落ちするサイドバーなど、とてもリッチで素敵なページになりました。

しかしここで気付きます。ダサさが足りない

皆様はテキストサイトに何を求めますか?私はある程度のダサさが必要だと思っています。というわけでここからはダサくするターン。

まずは背景です。それまではなんか灰色一色でスタイリッシュにまとまってました。これを葉っぱの模様のタイル(自作)に置き換えてダサくしました。

次にリンク部分。もともとは爽やかな緑色がつけられていて、マウスオーバーすると色も濃くなるというおしゃれ仕様。しかしテキストサイトにそんなおしゃれなリンクは不要です。脱色して元の青色&アクセス済みの場合紫色になるシステムに変更。

この二つ目が効果てきめんでした。すばらしいダサさ、まさにテキストサイトという風合いになり大満足。こうして今の形になりました。

そんなこんなで、テンプレートを用いてそこからダサく変更したページ、かなりのお気に入りです。みんなもテンプレートを引っ張ってきてダサく改良して、お気に入りのテキストサイトを作ってみてはいかがでしょうか。

2023.4.9

Twitterをやめられなかった話

Twitterのアイコンが犬になっていた話は昨日したと思います。それに対してちょっとむかついたので、昨晩私は「翌日までにアイコンが戻らなければTwitterをやめる」と宣言してしまいました。

結果は惨敗。イーロンは犬を撤回せず、私はTwitterをやめるはめに。おのれイーロンマスク。

いやでもこれはいいきっかけだと思ったんですよ。Twitterのしすぎで生活に支障が出始めていることはわかっていましたから。ようやくこれで、Twitterから卒業できるんだって思ったんです。

このサイトを本格的に私の居場所にしよう、そのためには連絡が取れる場所も必要だな、そう思って早急にBBSを立ち上げました。そしてその後は、ツイ廃最後の輝きとしてTwitterをやめることになったツイ廃の姿をフォロワーに届け、終わりの瞬間を待っていました。

終わりの瞬間、それはTwitterの本社があるカリフォルニアの時間で4月4日が終わる日。そのときにもしかしたらアイコンが直ったりしないか、そんな奇跡を願いながら。

そう、その奇跡を願ってしまうのです。いくら個人サイトを立てても、BBSを立ち上げても、Twitterへの未練は断ち切れません。そこでもう一つ、悪あがきに出ることにしました。

その悪あがきというのは、1時間以内に10いいねが来たらTwitterをやめるのを取り下げるというもの。この10という数字は、最初の宣言についたいいね数9を上回るという目標で設定しました。

私はごく少数のフォロワーがいる鍵アカの人なので、いいね10超えはめったにありません。最大のいいね数は13。上の宣言ですら跳ねた方でした。しかもそれは眠って朝開いて、一晩おいた上での数字。1時間で10いいねは記憶では集めたことがありません。

達成できるかどうかは五分五分、達成させるかどうかは自然に決まるものではなく、フォロワーの私をTwitterに縛り付けたい意思の強さに委ねられていました。

出だし20分、いいねは2つのみ。滑り出しは最悪でした。あ、これはもう終わったか、そう思いました。

それならそれでいいのです。みんなが私を必要としていないことがわかったのなら、私は大手を振ってここを出て行ける。「イーロン統治のTwitterに明日はない!」と悪態をつきながら。

しかし35分あたり、いいねが6まで到達します。希望の光が、徐々に見えてきました。一度諦めて閉じていた目にはまぶしすぎる光。ああ、生きたい願ってしまう。

35分で6いいね、それは現実的に1時間で10いいねを集めるならかなり厳しい数字です。いいねは一人1度きり、つまり早めにいいねを押して引き留めてくれるような人は、どんどん減っていくのです。

もう私には祈ることしかできません。引用リツイートでいいね乞食をしながら、最期の時が来るか、10いいねで救われるか、そのときを待ちます。

そして時計の針といいね数は競争を始め、43分に9いいねに到達。これは勝ったか…?しかし油断はできません。先ほど話したようにいいねしてくれるユーザーは減っていく。ここからが本当の勝負なのです。

なんとか!なんとか!そう願っていると、通知アイコンの右上に青丸が現れました。誰かがなにかしらに反応した合図であるそれ。その知らせが、件のツイートに対するいいねだったら勝利です。

結果は……見事10いいねを集めきることができました。その時間45分。これはきっと自己最速記録です。

こんなにも、こんなにも多くの人が、自分のTwitterの存続を望んでくれているんだ。その事実が、いいね10個に結晶化しています。キラキラと輝くダイヤモンドのようで、ため息が出ました。そして、心の底からある言葉が湧き上がってきました。

これだからTwitterはやめられねぇぜ!

2023.04.05

Twitterが本当に終わりそうだという話

朝起きたら、Twitterのアイコンが鳥から芝犬になっていた。

どういうことかとTwitterでの反応を見てみると(この仕草がいかにもツイ廃である)、どうやらこの犬はドージコインという仮想通貨のアイコンに用いられている犬らしい。

そしてこのドージコインというのは、イーロンマスクがかつて買い煽りをしていた銘柄であり、「Twitter買収後にアイコンを犬に変える」という提案を昔に受けてのものだそうだ。

いずれにしてもイーロン一人の都合で変わったに過ぎないものであるということがわかる。Twitterの私物化も甚だしい。

もちろんイーロンがTwitterの主要株主であるのだから、法律上はとっくの昔に私物化されている。それにしてもひどいなと思うだけである。

こうも私物化されてしまえば、公共のプラットフォームとしての信頼はもはや消えていくだろう。そんなものが元々Twitterにあったのかという疑問はさておき。

これもTwitterが滅ぶ前兆なのではないかと思い、そっと個人ホームページに引きこもる。

2023.4.4

AIイラスト用語辞典を作った

AIイラストの現状を把握するために必要なキーワードをまとめた、AIイラスト用語辞典を編纂しました。
個人で作っているので荒削りで間違った知識もあるかもしれませんが、ご一読いただくとAIイラストの現在が俯瞰して見られると思います。

さて、なんでそんなものを作ったかというと、現状のイラストAIやそれに対する反応、時代の空気感を克明に残しておきたかったからなんですよね。
ですからこの辞書の編纂が最終目的ではなく、様々なリアクションを収集したページを作ることが目的です。
辞書はあくまで、これから作るページを読むための補助として、スタートラインに立つ手助けをするためのものです。

技術はすごい勢いで進歩、拡散しています。そのため、今までと全く異なるレベルの動揺が人類全体に広がっています。
そして10年もすれば、新しい常識が世間に広まってしまい、現在の常識や価値観、空気は完全に忘れられるでしょう。

ですから、それを忘れないために、克明にこの時代を記録することが責務だと思うのです。
しかしこの時代すべてを記録することはできません。ならばせめて、AIイラストの問題だけでも残しておきたいのです。

幸い、自分はそれを記録するための場所を手に入れました。それがこのホームページです。

そして私は、神絵師ほどうまくはないが絵を嗜み、人工知能の開発こそしてないが理系です。
絵描きと絵描きでない人の中間、技術者と技術者でな人の中間、そんな場所に私はいます。
イラストAIに関連する人たちの中間にいるからこそ、平等に記録できる、そう信じています。

なのでこれから、自分のペースで、イラストAIの界隈の空気を記録していきたいです。
どうかのんびりと、応援してくださると嬉しいです。

2023.3.30

バーベキューをした

この時期になると、家族とバーベキューをするのが恒例になっている。夕方、日が沈む前に桜を眺めながら火をおこし、桜を眺めながら肉を焼く。

バーベキューと言っても、バーベキューコンロを使ってやるようなものでも、バーベキュー場を借りてやるようなものでもない。U字溝の上に鉄板と金網を置いた手製の簡単なコンロに、炭を入れて焼くのだ。

なんとも質素で、味気のないものと思われるかもしれないが、私は幼少期からこのスタイルでこれをやっているから、慣れている。むしろこれに風情すら感じる。

炭の匂い、火のパチパチと燃える音、徐々に暖まっていくU字溝のコンクリート。さまざまな情報がそこにはある。こういった一つ一つが、大切な経験なのだ。

最近のアクティビティなどは、どうもこうした細々とした情報がそぎ落とされている気がする。それは、そうしたアクティビティが商業と結びついて不可分になってしまったからだろう。

なぜ商業と結びつくと情報がそぎ落とされがちなのか、それには二つ理由があると考える。広告性の問題と、一般性の問題だ。

商業とするためには、それを広告せねばならない。できる限り魅力的に伝える必要がある。そのために、アクティビティの何が売りなのか、はっきりさせるということをよくする。この過程で、売り出したい魅力以外の部分がそぎ落とされてしまうのだ。

次に、商業は多くの人を相手としないと成り立たない。そのため、より一般的な趣味に迎合する。例えば上のバーベキューでは、炭の焼ける匂いというのがあるのだが、世の中にはそういう匂いを嫌う人もいるため、一般受けする趣味とは言えない。こうした一般受けしない要素というのは、簡単にそぎ落とされてしまう。

ほかにも、デジタル化、通信化の影響で、わかりやすくハッキリとしているものが有利になっているという面もあるだろう。

しかし、そういう過程でそぎ落とされてしまう情報も、根源的な体験の楽しみの一つだと思う。なのでみんなには、そういう商業に乗らない、U字溝と金網で手製したコンロでバーベキューをしてみてほしい。

2023.03.28

お花見に行ってきた

桜を見てきました。桜っていいですよね。なんだか、元気をもらえます。

近所にそこそこ有名な桜の名所があるのですが、高校の頃はそこが通学路でした。春になるとそれはもうきれいで、特に朝の空気の中に枝を広げる桜は、それはそれは心地が良かったです。

高校の頃は、テストがうまくいかないとかそういうつまらないことでうじうじしたりして、何もかも嫌になることが本当に多かったです。でも、通学路の桜を見ると、特にその散り際になると、来年の春もまた見に来てやる!という気持ちになれました。

あと1年だけ、来年まで生きてやろうって、そう思わせてくれる何かが桜にはあります。上手くいかない日々でも、1年以内には桜が見れるんだと思えば、ちょっと元気付けられるのです。

2023.3.27

HoneyWorksの曲には香りがある

嗅覚は記憶と結びつきが強い、そういうことをよく聞く。実際、何気ない匂いで懐かしさを感じたり、思い出で胸が苦しくなったりする。

私の場合は、沈丁花の香りで心乱れたり、雨の日の土の匂いで不意に望郷の感に駆られたりする。 これに関しては、また次に沈丁花が咲く頃に、また雨が降った日に、日記にしたいと思う。

さて、先日ふとHoneyWorksの曲を聴いた。最近はやりの、『可愛くてごめん』である。

この曲を聞いた瞬間、とても懐かしく、胸が締め付けられる感じがした。歌詞に共感したとか、この曲特有の問題ではなかった。

もちろんこの曲も本当にすごくて、この曲自体に対しても語るべきところは多い。しかし今回はそれを除き、HoneyWorksの曲としての側面に焦点を当てる。

HoneyWorksは言わずと知れた楽曲制作チームで、中高生に人気が高い。筆者が中学生、高校生の頃にすでにその地位を確立していて、姉や友人が毎日のように聞いていた。必然、自分もその曲をよく耳にし、たまに自分から曲を検索したりもしていた。

HoneyWorksの特徴は、告白実行委員会に代表されるような、青春の甘酸っぱい恋事情や、多感な感情を鮮やかに描いたものである。こういった特徴ゆえに中高生に人気が高いのは当然といえるだろう。

こうして、もはや青春に欠かせないともいえる存在にまで到達したHoneyWorksは、それによってさまざまな思い出と結合する。それが無意識の中にずっと眠っている。そしてあるときHoneyWorksの曲を聴くと、昔に聞いたHoneyWorksの曲と共に流れ出てくるのだ。

これが昔聴いていた曲と同じ曲を聴いて起こるのならば、さほど不思議なはなしではない。香りだけが記憶との結びつきを持つ特別なものではないのだから。しかし今回は、青春時代に聴いていたものと全く違う曲で起こった。

『可愛くてごめん』はMVが2022年11月18日に公開されている。つまり私の青春時代に聴くはずがない。もちろん聴いた記憶もない。それどころか、こういった「地雷系」をテーマにした楽曲は私の中高生の時代にはなかった。それにもかかわらず、記憶を引き付けたのだ。

香りの世界では、こういうことはよくある。町の中ですれ違う人の柔軟剤の香り、シャンプーの香りで、ふと誰かのことを思い出したりする。そこにいる人は全く別人なのに。

だから、HoneyWorksの記憶の誘起の仕方は、どことなく香りに似ているのだ。何年たっても、テーマや登場人物が変わっても、そこにパーツさえ存在するはずのない過去に聞いた楽曲が思い出されるのだ。

2023.3.27

念願の個人サイト

こんにちは、日常の量り売りの管理人です。こんな場所までご足労いただき、誠にありがとうございます。

また、特にこの発足時に来てくださった方々、ここまでログを遡ってくださった方々には、さらに特段の感謝を述べたいです。

そのお礼と言ってはなんですが、このページが発足するに至った理由を軽く話しましょう。

私は極度のツイ廃でした。毎日十数個のツイートをし、またタイムラインを流し、それで満足しない時はトレンドを覗いていました。
文字を紡ぐことが好きで、文字と共に生きていました。
小説も多少書くなどし、それのスクリーンショットをとってTwitterに上げることもしていました。

Twitterでの生活は満足でした。

しかし満足すぎて、あまりに浸りすぎました。
Twitterに日々上げられる憎悪や嫉妬の言葉、それさえも自分から摂取するように迫られ、そして同時に時間も奪われました。

だから、どうにかTwitterから離れたかったのです。

しかし私は、文字を生み出す環境と離れて生活することができません。

自分から文字を発表できる場を作る必要に迫られました。

幸運なことに、私の周りには何人か、テキストサイトを作っている人がいました。
だからその人をまねて、私も作ってみたのです。

いざ作ってみると、この世界はTwitterより広大です。
どこまでも果てしなく文章を打てます。

Twitterでも、チラシの裏でも書けないようなことが、ここなら書ける気がするのです。

私はここで、できる限り書き続けたい。そう思いました。

ですからどうか、たまにでいいので、このサイトに来てくださるとうれしいです。

2023.3.27